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【アラベスク】  第19章 朝靄の欠片



第2節 再びボロアパート [17]




「それで? 今後もこんな生活を続けるつもり?」
「他に手も思いつかないもんで」
「唐渓の生徒でしょ? 頭イイんでしょう? もうちっとマシな手考えたら?」
「生憎と、テストの点取る事しか能が無いもんで」
「そうなの? 唐渓の生徒って、もっと現実的な能力身につけてるもんだと思ってた」
「現実的な能力? 何です、それ?」
「世の中を生き抜くための能力」
「はぁ?」
 そんなモンが唐渓の生徒に備わっているとは思えない。まぁ、社会に出ていかに周囲を蹴落とすかという能力なら長けているのかもしれないが。
 白々しい感情が湧き上がる。手早く着替えて風呂場から出る。
「でも唐渓って、勉強ができるだけじゃダメなんでしょう?」
「まぁ、家柄とか経済力とか」
「あと、コミュニケーションの能力とかも試されるって聞いた事がある」
「はぁ? コミュニケーション能力?」
 そんなもの、聞いた事もない。
 洗面所の鏡で確認する。床の濡れていた風呂場だったが、どうやら濡れているところはなさそうだ。
「唐渓の生徒にそんな能力があるとは思えませんね」
「そう?」
「コミュニケーションって、円滑な人間関係を構築する能力のことでしょう?」
 むしろ唐渓には無用の能力ってカンジだ。円滑な人間関係の構築など、誰も求めてはいないような気がする。
「生き残り能力っていうんならわかりますけどね。いかにして権力者に取り入るか。いかにして相手を蹴落とすか。そういう能力なら無いとやってはいけないのかもしれません」
「十分じゃない」
 ユンミは大きく息を吸う。
「生きてく為には必要よ。立派なコミュニケーションよ」
「そうですか?」
「世渡り能力とも言えるかもね」
「嫌な能力ですね」
「そう? どうして?」
「だって、ようはいかに効率良く生き抜いていくか、いかに上手に楽をするか、そういう事に特化した能力ってコトでしょう?」
「効率が良い事も、楽をする事も、別に悪い事じゃないわ」
「へぇ、ユンミさんがそんな事を言うとは思わなかった」
「どうして?」
「だって」
 ユンミのような人間というのは、世の中から爪弾きにされた存在なのだと思っていた。世の中の、効率化や能力主義からアブれた、そういう世の中に順応(じゅんのう)できなかった人間。
「内容よりも成果重視の世の中の肩を持つとは思わなかったです」
「あぁら、それは誤解ね。アタシは別に世の中の肩なんて持っていないわ。それに」
 プワァと吐き出す。
「アタシはアブレ者なんかじゃない」
「じゃあ、何です? ユンミさんを理解しなかった世の中が、ユンミさんを追い出したんじゃないんですか?」
 生き方を受け入れてくれなかった社会から爪弾きにされた存在なのではないのか?
 そう問いかけるような美鶴の瞳を、ユンミはなぜだか嘲笑う。
「違うわ」
 顎をあげる。
「世の中がアタシを理解しなかったんじゃない。アタシが、世の中を誤解していた」
 少なくとも、理解はしていなかった。自分はノケ者にされているのだと、誤解していた。
「周囲と交流を取ろうとはしなかった。唐渓で必要な生き残り能力ってヤツも、アタシには無かった。だからたぶん、アタシは唐渓には通えないわね。たとえ学力があったとしても」
 アタシは唐渓の生徒ほど強くは無い。強くなければ生きていくことなどできない学校なのだと、慎ちゃんに教えられたコトがある。
 美鶴は意外だと思った。というよりも、理解ができなかった。よりにもよってユンミが、あの、権力や経済力に群がる上流階級社会を擁護するような発言など、するとは思えなかった。
 だって、どう見たってユンミと唐渓は対極だ。唐渓の生徒はユンミのような存在は毛嫌いするだろうし、地位や名誉や世間体を重要視する考え方を、ユンミが好むとは思えない。
 戸惑いを込めた美鶴の表情に、ユンミは笑った。紫の唇が大きく歪み、それは陽当たりの良くない部屋には異様なほどに鮮やかで、異質だった。だが、不似合いな存在でもなかった。
 ビールを飲み干し、手の甲で口を拭った。紫が甲に線を引いた。それをしばらく無言でジッと眺め、空になった缶を床に置き、身を大きく捻ってベッドに仰向けになった。
「ほぉら、コンビニ行くんじゃないの?」
「あ、あぁ、そうか」
 なんとなくモヤモヤした感情を胸に残したまま、美鶴はノロノロと部屋を出た。



 ホント、ユンミさんがあんな事言うなんて意外。
 美鶴はコンビニの袋をブラブラとさせながらアパートへの道をノロノロと歩く。似たようなアパートや古い民家がゴチャゴチャとした路地だ。トタンで囲っただけの、空き家なのかもしれないと思われるような建物もある。外灯は少ない。夜は暗い。こんなところで唐渓生と鉢合わせするなんて考えられない。
 私、なにやってんだろう。
 周囲を気にしながら歩く自分が情けなくなってくる。こんな事やってるんだったら、さっさと唐渓なんて辞めちゃえばいいのに。
 辞めて、どうするの?

「ラテフィルへ行こう」

 瑠駆真、まだマンションに居座ってんのかな? お母さんと意気投合でもしてんのかも。十分あり得る。
 お母さん、私がラテフィルだなんてところへ行くだなんて言ったら、どうするんだろう?
 一瞬考え、呆れたように溜息をついた。
 別にどうぞ、とかって気楽に言われそう。だいたい、唐渓へ行きたいって言った時も、あっさり了解してくれたし。あの母親には何を相談しても何の役にも立ちそうにもないな。
 まぁ、わかってる事だけど。
 なのに、なぜだか不愉快になる。
 言いようのないモヤモヤとしたスッキリとしない心を振り払うように、大きく手を振った。袋をブンッと振り回した。その手首を、背後で握られた。
「え?」
 思った時には後頭部に鈍痛を感じた。ブロック塀に押し付けられたと気付いた時には、相手は目の前にいた。
 サングラスにマスク。明らかに怪しい。
 だ、誰?







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